政治スタンスのまとめをしていたところだったのですが、ちょっと腹にすえかねることがあったので、吐き出させてください。
今回は『「新自由主義」批判』批判への批判です。批判が何回出てくるんだよって感じですね笑。どういうことかと言いますと、まず、「新自由主義」という悪名高い思想ないしは実践があります(中身については後述します)。普通のリベラルな学者やインテリならだいたいこの「新自由主義」を批判します。それに対して、とある本で、「最近の書き手はなんでもかんでも新自由主義のせいにする」みたいな『「新自由主義批判」批判』のような議論がありました。それを読んで本当にくそどうしようもないなと思ったので、いま書いてます。
まず、新自由主義(ネオリベラリズム=ネオリベ)というのは、基本的に政策原理と考えてよいと思います。具体的にはマクロ経済政策において、財政出動をやめて、金融緩和だけどんどんやりましょうという指針です。ざっくりまとめてしまうなら、政府が格差を是正するような所得の再分配とか、医療福祉とかの社会的なインフラを縮減して、市場の原理にまかせましょうという政策原理です。これをやると、当然のことながら、所得の格差は増大し、貧困層が増え、貧困層が割りを食い、富裕層はより豊かになります。じじつ、ニクソンショック後のアメリカで、「資本家があんまり儲からなくなってきたね」という声が出たところから新自由主義政策は社会に実装されていきました。
その新自由主義政策の実験場になったのが、チリです。どうやって実験したか。当時の社会主義政権だったアジェンデ政権にたいして、ピノチェトという人に1973年9月11日(もう一つの911です)にクーデタを起こさせました。その日、国会を爆破して、アジェンデを殺害し、ピノチェトが独裁者として君臨しました。ネオリベ政策を実践するために、言論統制をし、デモを規制し、果ては抵抗する人たちを生きたまま飛行機から放り投げるような残虐なことまでやりました。これを仕組んだのは、経済学者たち、CIA、アメリカ国務省、グローバル企業、チリの豪族たちです。結果、どうなったか。次々とグローバル資本がチリに参入し、チリの豪族とグローバル企業は大儲けしました。
これで成功だね、ということで、1980年代からアメリカではレーガン、イギリスではサッチャー、日本では中曽根がネオリベ政策を実施し、(資本家から見て)かなりの成功をおさめました。
それ以来、つい最近まで財政支出はマクロ政策としては禁じ手となり(アメリカでは「名前を言ってはいけない政策」とされました)、もっぱら金融緩和(中央銀行が金利を下げることでお金を借りやすくし、それによって経済成長を目指す政策)や民営化(なんか聞こえがいいですが、英語だと”privatize”で、国家の福祉的・インフラ的なセクターを「私有化」することを意味します)が一般的になりました。しかし、これをやったところで、当然ながら所得格差は増え、貧困層が増え、生活も苦しくなるばかりでした(この金融政策を擁護する最後の砦となる政策がリフレ=アベノミクスでしたが、日本においては日本の経済課題の第一である企業の内部留保を400兆円から500兆円に増やし、実質賃金を下げる結果になりました)。
ちなみに、こうした新自由主義政策というのは大企業や資本家や、そいつらと結託した政治家にしかメリットのないものです(それはもう歴史が証明しました)。だから、例えば政治学者コリン・クラウチは、新自由主義の実質とは、「市民による支配」である民主主義とは対照的な「企業による支配」であると論じています。日本でも、麻生太郎ですら一時期、「法人税を上げないと」と言っていたのに、日本の大企業や経団連の圧力によって、法人税を引き下げて、消費税を上げることになりました。しつこいようですが、日本の第一の経済課題は、内部留保500兆円にあります。企業に金が余っていて、市民に金がないので、ひたすら需要が冷え込んでいるのです。需要がないのに、設備投資をしたところで利益が見込めないため、企業はただただコスト削減をすることによってしか利益をあげられない。だから私たちの賃金は低いままで、その鬱憤を晴らすために適当にしか仕事をしなくなり、生産性も創造性も下がっているというのが今の日本の現状です。コスパ、タイパなどといった言葉が流行する背景にはこのしょうもない悪循環があります。
「こうした新自由主義を批判することに、何の問題があるのでしょうか。何の問題もないです。ただひたすらクソだし、私たちみんなを苦しめています」。と、このように常識的な学者やインテリなら語るわけです。これに対して、今日読んだ本では、「何でもかんでも新自由主義のせいにしている」とだけ言って、こうした常識的なインテリの「新自由主義批判」を批判していたわけです。
たしかに、何でもかんでも「新自由主義」のせいにするような傾向というのはありますし、その本で言われているように、それが実際の具体的な分析を阻害している側面は多々あるでしょう。
しかしね、現在の新自由主義によってめちゃくちゃにされた社会において、そうした新自由主義批判・批判をすることにどんな生産性があるでしょうか。その本に収録された対談で、I という人物が「アーティストとか文学系の連中がわざわざ専門でもない新自由主義を批判するのは、自分たちの食いぶちが削られることに反抗する党派的利害からだ。つつましくもいじましい」みたいなことを述べているのですが、まさに、お前らこそ、クソしょうもない狭い業界で、主流のインテリに対して逆張りして、したり顔でなんか新しいこと言ってます的な雰囲気を演出することで、飯を食ったり、承認欲求を満たしたりしてるんでしょう。狭い業界で自分のポジションを取るために、あえて逆張りしてるんでしょう。最悪の意味で政治的ですよ。
彼らは自分らの「党派的利害」のために、新自由主義政策に反対して連帯する市民を減らしたり、連帯を阻害したりして、それで社会がより悪くなっていったらどう責任を取るんでしょうね。新自由主義政策がすでにどれほどの人間を殺しているか、知らないんでしょうね。それに加担しているという意識がないのでしょうね。本当に無責任だと思います。自分の言論が、広い意味でみて、実践的にどのように社会に影響するのか、考えられないのだと思います。私は、そういう幼稚な人間は心の底から嫌いです。キモいです。日本の言論空間はこういうしょうもないやつばっかりで、本当に嫌になります。ブチギレてます。
誰もまともに批判しないので、いちいちこんなことを書かないといけないことにもムカついています。
とにもかくにも、もっと市民がこの社会の状況に抗して連帯して、人々がより善く生きることの助けになるような本が、ひとを元気にする本が、もっと増えることを願って、今日の愚痴を終わります。
新自由主義についてはひとまずはこちらの本がおすすめです。
『経済ジェノサイド』
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サンボマスターを見習って欲しい。表現者はひとを前向きにするようなことを歌わないといけないよ。マジで。全員優勝しよう。


> 具体的にはマクロ経済政策において、財政支出をやめて、金融緩和だけどんどんやりましょう
具体的な経済学者が出てこない俗流新自由主義批判(おそらくリフレ派と混じっていると思われる)ですが
この時点でネオリベではないです
そもそもピノチェトもサッチャーも実行したことは金融引き締め(所謂「ショック療法」)で「金融緩和だけどんどん」をやっていません