前回は「右翼 vs.左翼」「親米 vs. 反米」「反共 vs. 共産党」という対立軸をもとに日本における「右翼」「保守」とは何かということを書いた。今回は復習をかねて、結局のところ「保守」は何を守っているのか、「革新」は何が革新なのか、ということをまとめます。
保守 vs. 革新
日本における「保守」は、前回見たように、戦前のような体制を「保守」しようとしています。では、戦前の体制とはどのようなものであったかといえば、端的に、個人の自由や権利よりも国家体制の維持が優先され、国家が「国家のために死ね」と国民に命じる全体主義的な体制でした。そして、このとき「国家」とは天皇あるいは天皇制を指します。天皇制のことを別名「国体」といいますが、それは天皇が国家の身体であるという意味です。より正確には、身体の中でもとくに「頭」や「頭脳」が天皇ということになります。だから、この「頭」のために、国民はその「手足」や「細胞」となってお役に立ちなさい、というロジックになります(この発想は日本のオリジナルではなく、背景に国家有機体説という西洋思想の影響があります)。では、現代日本において、戦前のような体制を復活させよう!と望んでいる日本の「保守」のひとたちは、本当に天皇制を保守しようと考えているのでしょうか。そのようにはみえません。たしかに、自民党改憲草案を読めば、憲法第一条で、天皇を「元首」にすると書いてあります。しかし、いま自民党のやってることを見るなら、かれらが守っているものは天皇制ではなく、「自民党とその仲間たち」の利益と権力です(平成天皇以降、天皇の発想は割とリベラルだから、もしかしたら自民党の連中は天皇を目の上のたんこぶくらいに思っているかもしれない。じじつ、ネトウヨの中には、「天皇は反日」とか言うひともいました)。だから、現政権の「保守」とはひとことでいえば自分たちの「保身」なのです。国民はわれわれ権力者の「手足」となり「細胞」となり、われわれの「保身」に役立ちなさいということです。
もしも本気で「国を守ろう」と考えるのであれば、国家の基礎である「憲法」とこの国の「人民(people)」をないがしろにしないはずです(なぜならあえて昔の言い方を借りるなら憲法こそ「国体」、つまり日本国そのものだからです。憲法のことを英語でConstitutionと言いますが、この語には「体格」という意味もあります)。少子高齢化にともなう社会保障費の増大と労働人口の減少、地方の過疎化、食料自給率の低下、インフレと賃金の低下、ジェンダー格差、国債バブル……、国のために解決しなければならない問題(しかもやろうと思えば解決できる問題)が無限にあります。にもかかわらず、「日本国憲法」を無視してアメリカの言いなりになり、自らアメリカのために戦争ができる国へと法整備をし、「国民」を無視して大企業の言いなりになり、法人税を引き下げたり富裕層にとって有利になる経済政策をして、そこで生まれた格差を埋めるために再分配はせず、むしろ消費税を引き上げる。しかも旧統一教会や創価学会のような宗教団体とも癒着して、支え合っている。ほんとうに、なにが「右翼」なのか、「保守」なのか、「自由民主」なのか教えて欲しいところです。とくに誇張でもなく、自公政権は「売国保身政党」とすべきだと思います(普通にこれくらいのことはメディアが正直に言うべきです。こういうことを言うと、左翼だリベラルだというレッテル貼りがはじまってしまうことがすでに、悪い意味での「右」に、社会全体が傾いている証拠です)。
ちなみに余談ですが、本当にガチで、保守や右翼をこの国でやるなら、明治維新自体から総括しなおす必要があるだろうと思います。そもそも儒教思想である「忠君」とプロテスタンティズムの発想である「愛国」を合体させて「忠君愛国」とし、これに基づいた「国体=天皇制」を明治時代にでっちあげました。それは「日本の伝統」なのでしょうか。しかも、なぜその「伝統」である「天皇」を、西洋を中心として組み立てられたグローバルなヨーロッパ公法体制に組み込んで、「憲法」に書き込まなければならないのでしょうか。現在の法システム全体がそもそも日本の「伝統」とは無縁のものなのです。もっと元も子もないことを言ってしまえば、「右翼」や「ナショナリズム」という大枠自体が西洋によって持ち込まれた観念にすぎないのです。その上で、「右翼」や「保守」が、そういう西洋的な発想にどっぷり浸かっていることをちゃんと自己批判して、天皇制を含めて明治維新から現代までの体制をまともに総括して、江戸以前のこの島の歴史や文化をもう一度真剣に見つめ直すのであれば、そのときはじめて、比較的まともな「伝統的なもの(≒右翼的なもの?)」がありえるだろうし、それは是非ともやってみてほしいです。すべての偉大な試みが、「古いもの(伝統)との新たな関係」であるとすれば、ほんらい人間がよりよく社会を前にすすめようという試みに保守も革新もないはずです(その意味で「伝統」をバッサリ切り捨てて無かったことにするタイプの「革新」とは、相入れないなあといつも思います )。
一方で、「革新」は基本的に、日本の文脈の中で、「敗戦」以降の「日本国憲法」体制=戦後レジームに賛成する立場だといえます。ちなみにこの「革新」という語は、戦後、新聞報道で左派の呼称として使われたことに由来するそうです(小熊 2024)。初出は1946年で、戦前は左派を「進歩派」と読んでいたが、戦後は客観的な報道の用語として「革新」と呼ぼうという提案をしたと、当時の朝日新聞政治部の次長であった増田寿郎が回想していたとのことです。それでなるほどと思ったのですが、この「革新」には共産党が含まれていなかったそうです。つまり、「保守」でも「共産」でもない層のことを「革新」と呼んでいたようです(後でまた触れますが、この「革新」の使い方とのちに1980年代から使われる「リベラル」の使い方が同じなのが面白いです)。あとちなみに興味深かったのは、小熊さんいわく、そもそも戦後の日本国憲法を作る時に、「戦争放棄」「憲法9条」については、保守政党も革新政党もともに反対していなかったが、唯一反対したのが共産党だったということです。
【参考】
小熊英二. “戦後日本の「リベラル」と平和主義:その所与条件と歴史的経緯.
“ 世界, no.978, 2024, pp.32-45.
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今回もこのくらいの分量で終わろうと思います。コツコツ続けることが大事なので......。
次回以降の仮の目次は以下です。リベラルという概念は広すぎて定義することはほぼ不可能なレベルだと思うのですが、まあ、ひとまずざっくりの理解を示したいと思います。
リベラルとは何か?
リベラル(政治的)vs. 権威主義
リベラル(経済的)vs. 社会主義
リベラル(個人主義)vs. 全体主義
ネオリベラリズム vs. ???
ネオリベラリズムとネオコンサバティズム
中立、ノンポリ、冷笑系
ポピュリズムと陰謀論
第三の道(右でも左でもなく)
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これめちゃかっこよかった。